『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』
2021年度最後の読書は、佐藤優さんの『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』。
ウクライナの状況を見ながら、不条理な領土問題に関し、すでに北方四島や尖閣・竹島の実効支配を譲歩して、あいまいな状態に甘んじている日本の姿勢と、国民の犠牲を強いても闘い続けるウクライナの姿勢とを引き比べ、外交とはどんなものなのかを知りたいと思ったのが動機です。国会でのゼレンスキー大統領の演説後、「北方領土について当然触れられると思っていた」とおっしゃっていた政治家の言葉を、複雑な心境で聴きました。以下、本書未読の方は読み飛ばしてくださいませ。
正直、「これが同世代人の実体験なの?!」と思うほど、驚きに満ちた本でした。
大きくは、次の3つの驚き。
1.情報屋(インテリジェンス:特殊情報活動)という仕事
2.「時代のけじめ」としての国策捜査というもの
3.刑務所内での日常
“情報屋”として他国要人から貴重な話を聴くためとはいえ、一晩でウォトカを2~3本も空けるとか、要人と一緒にサウナに入るとか、親愛の情を示すためならアンナことやコンナことも厭わない…なんて、普通の人にはなかなか出来ないでしょうし、大晦日すら徹夜で仕事することもあるなんていうのも、マイホームパパでは決して務まらない。著者が、国益のために日夜仕事に奮闘していたことは確かだと思いました。
また、国策捜査は「時代のけじめ」をつけるために必要だ、との言説に背筋が寒くなると同時に、今のウクライナ情勢等と合わせてみると、著者に仕掛けられた“国家の罠”は、国外のフィクサーによるものではなかったのか…?なんて妄想までよぎってしまいました。
当時の日本では、内政におけるケインズ型公平分配路線からハイエク型傾斜配分路線への転換、外交における地政学的国際協調主義から排外主義的ナショナリズムへの転換という二つの線で「時代のけじめ」をつける必要があった…という解説も、今読むと恐ろしいほど行き過ぎた急転換だったように感じます。
そして、国民のために力を尽くしてくれるべき官僚や政治家の一部が、せこせこした権力抗争や手柄/出世争いに血道を上げて、狭い世界で競争ばかりしているような錯覚(?)にも陥りました。ある政治家が、「人間には家族と使用人と敵の三種類しかいない」と言ったとか言わないとか…。これはあくまで言葉のレトリックではあるのでしょうが、そういう人にとって、国民も部下も“使用人”にしか見えないんじゃなかろうか…と思わざるを得ません。人事という名の人間の捕縛が、正義の観念すら歪めているようで、身のすくむ思いでした。学生の官僚離れを是正しようとアレコレ検討されているようですが、こういう考えの政治家と一緒に仕事したいとは、普通の人は思わないのではないかと…。
そんな政治家や官僚たちと仕事をし、刑務所の独房の中でも、自らの価値基準を維持しつづけ、むしろ磨きをかけたかのような著者のストイックさには脱帽でした。
外交の舞台裏で精力的に活動された著者ですが、悲運に見舞われたことを幸いとし、性に合う文壇という世界で情報分析を続けておられるのは、ハッピーエンドと言ってよいのでしょうか。。。2030年に、本件にまつわる情報開示がきちんとなされるであろうことを、忘れずに見守ろうと思います。
本書でクローズアップされた「時代の転換」のおおもとが何だったのかはわからずじまいですが、今の世界情勢は、どう考えても、この当時各国でも似たようなパラダイムシフトが起きたことに起因するのではないかと、思わずにはおれませんーーー。
【映画「牛久」】本書は、一般人がよく知らないことをいろいろ詳らかにしてくれましたが、映画「牛久」というのも、入管の実態の一部を教えてくれるようなので、機会があれば観てみたい。。。入管の所管というのは、内務省→GHQ→外務省→法務省と移ろっているのですね…。
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