『戦争は女の顔をしていない』
一週間前の夜、ゆっくり読み進めていた『戦争は女の顔をしていない』を読了。読み終えた直後、ちょうどNHKの「SONGS」で、森山直太朗さんの「今」と「素晴らしい世界」を聴いたら、泣けて泣けて仕方ありませんでした。
正直、苦しい読書でした。ただ“読む”だけでこんなに疲れるのだから、数百人にものぼる戦争参加者の女性たちからナマの話を聴き続けた数年間、著者のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチがどれほど辛かったことか…。そして、1941年前後のヨーロッパの混乱が、今また再現されてしまっていることに、何か根本的な改革の必要性を感じてしまいます。
普通の読書は、少なくとも底流にある著者の価値観や美学に支えられ、それが心の琴線に触れた時、作品だけでなく著者そのものを好きになるものです。が、本書は、“あるがままの真実を聴き出す”という著者の強い意思だけが全体を支え、価値観や美学は、インタビューを受けた人それぞれなのです。ひとつの価値観に基づいて推敲されていない本、という意味で、“書籍”(歴史?)の概念を覆すものだったと言えます。
15,6歳で戦争参加を是とした女子、自ら志願して前線で戦った人、食べ物にありつくために前線に赴いた人、密告や拷問や報復を恐れて協力せざるをえなかった人、ひたすら復讐に燃えていた人、スターリンや共産主義に心酔していた人、対戦相手の兵士をも看護した人、捕虜にも食料を分け与えた人、戦場で愛を見つけた人、夫を追って最前線に飛び込んだ人、愛国心から戦争参加したものの戦後はそれゆえに差別された人、捕虜になったことで裏切者扱いされた人、戦中の功績や勲章が誇らしい人、酷い惨殺シーンを山のように見て発狂してしまった人、ただ口を閉ざす人ーーー。ありとあらゆる悲惨な現実が展開されますが、それらは皆、戦争を生き抜いた人たちの証言であって、戦争のさなかに亡くなった多くの人たちは、もはや語ることが出来ないという事実。人の死が、あまりにも軽んじられていて、共感と惰性の両方をもって本書に臨んだ時、当初は共感力ゆえに苦しくなるのですが、読み進めるうちにそれに慣れてしまう自分がいる・・・これこそが、戦争の最も恐ろしい所だと感じました。心を蝕むのです。戦うことに慣れてしまうこと。流血が普通の日常になってしまうこと。憎むことでしか生きられなくなってしまうこと。。。(最低限、戦時下に女性なしではいられない男性は、戦争に参加してはいけないというルールを作って欲しい! そしてどこの国であろうと、子どもの日常は世界が協力して守らなければならないというルールも。。。)
いまだに自己防衛の名のもとに銃規制すらできない世界で、軍需産業や戦争を非難できる道理が見当たらないものの、21世紀に確実に言えることは、地球は、地球上のあらゆる生命の共有財産だということ。そして多種多様な生物の中で、たぶん人間だけが、それをきちんと頭で理解できるはずだということ。にもかかわらず、テリトリーや所有・領有のために争い続ける矛盾。
今のご時世、“男の顔”“女の顔”という言い方自体が、少し固定観念に縛られているとも言えますが、「戦争は“やさしい”顔をしていない」のは確かで、これまで“育んで”来たモノや時間を“破壊する”ものでしかないことに、もっと自覚的であるべきなのでしょう。“戦争”という大きな物語に酔いしれるのではなく、ひとりひとりの“人生”の物語に目を向けることの大切さに、本書は気づかせてくれます。
数少ないアレクシエーヴィチの文章の中の一節が、印象的でした。
ーーーどんなに私が空や海を眺めるのが好きであっても、やはり私は顕微鏡で覗くちっちゃな砂粒のほうにより惹かれる。一滴の世界に。そこに私が発見する大きな世界に。ーーー(p.225)
今はただ、世界を、花と緑で整えて、みんなで同じ歌を歌いたい気持ちでいっぱいです。
【Twitterは表現の自由を確保できるか?】 一昨日、イーロン・マスク氏がTwitter社のオーナーになるというニュースが世界を駆け巡りました。“表現/言論の自由を守る”という使命感は応援したい気持ちながら、直近でも、『月曜日のたわわ』問題や、「OMEGA」商標のパロディ商標に対する公序良俗の判断などなどの報道がありました。人それぞれの価値観や受容程度の差に起因する悶着は尽きないと思われ…、SNSの管理は一筋縄ではいかない大仕事ですねぇ。。。拷問や報復を恐れずに発言できる場になるとも、今のところは思えません。
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