『市場・知識・自由』
前職でお世話になり、今も社会科学や法哲学分野の情報源として密かに頼りにしている方が、先々月くらいにFBで紹介してくださっていた本、フリードリヒ・ハイエクの『市場・知識・自由』。
なにせ素養のない私なので、ゆっくりじっくりと拝読していたら、2ヶ月近く掛かってしまいました^^;;。
先月末に読み終えてはいたのですが、自分一人では咀嚼しきれないため、ウロウロと人様の書評や紹介文や関連文を読んでみたり。。。
読後も、到底理解できたとは思っていませんが、過日別経路で読んだサン=テグジュペリの『人間の土地』と、ハイエクが好んだと思しき『人間本性論』・『道徳原理の研究』からの引用とが妙にシンクロして感じられました。
共感する部分もとても多かったのですが、何かを考える時に二元的対立に単純化して語る部分が多いのは、ちょっと違うのでは…と思う部分もあり。。。
「真の個人主義」と「偽の個人主義」とか、「自由な社会」と「全体主義的社会」とか、まぁ単純化しなければ議論できないのが研究環境というものなのかもしれないし、ケインズのような人との思想やスタンスの違いも、周囲が勝手に対照してしまうのかもしれません。学者・研究者的なハイエクと、芸術家・政治家的なケインズという人間的な性質の違いというのも、あったのかもしれませんが…(笑)。社会保障や相続など、各論部分では確かに意見を異にする所もありつつ、双方の主張の一部を読んでみると、どちらにも、社会経済は常に流動的で、動的平衡は構成員全員の貢献によるものであることを踏まえた、謙虚さのようなものを感じました。
本書を読んで、バーナード・マンデヴィル、デイヴィッド・ヒュームという人たちにも興味が湧きましたし、ケインズの知らなかった一面を知ることも出来ました。
掲載されている8編の論文の、どれにもそれぞれ印象的なフレーズがありましたが、今日のところは、以下(p.227)の“自由主義的法概念”の中の一節を引用して、本書の記憶としたいと思います。
ーーー正当な権威をもつ立法府の法令といえども、専制君主の法令と同じく、恣意的であるかもしれないし、実際、特定の人びとや集団を対象とする、つまり普遍的に適用可能な規則に由来するのでない、命令や禁止はどれも恣意的とみなされるであろう。こうして、強制行為を古い自由主義的伝統の用語法の意味で恣意的たらしめるものは、強制行為が政府の特定の目的に奉仕し、特殊な意志行為によって決定されることであり、自生的、包括的な行為の秩序ーー正しい行為を矯正するその他すべての規則がこの秩序のために奉仕しているのだーーを維持するために必要な普遍的規則によって決定されるのではないということである。ーーー
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