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2022年9月11日 (日)

「ミス・シェパードをお手本に」

20220903_5 20220902_4  9月の頭、台風の影響でウォーキングが望めそうになかった週末前、友人から表題の映画のことを教えてもらいました。
 原題は「The Lady in the Van」。劇作家アラン・ベネットの、実話に基づいた作品で、各国で舞台化もされているようです。
 なんとも英国的な諧謔に満ちた脚本で、泣いたり笑ったり呆れたり顔をしかめたりしながら、最後は爽快感に包まれて観終えました。(以下ネタバレ注意)

 ミステリーじみた車上生活をする老女を、自らの家の前庭にいっとき居候させることにした劇作家。結局、彼女が亡くなるまで15年ほども、折に触れて面倒みることになるのですが、年老いても自主自律して、媚もへつらいもなく、我が道をゆく(わがまま)老女。熟練のマギー・スミスが圧巻で、お芝居とは思えませんでした! 当時の女性飛行士(エイミー・ジョンソン?)のファッションを真似てみたり、フランス語を流暢に話したり、修道女だった過去を持つなど、つかみどころのない女性でしたが、実は巨匠アルフレッド・コルトーの弟子としてエコール・ノルマルでピアノを学んだこともある元コンサートピアニストの“マーガレット・フェアチャイルド”だったと、死後に判明します。
 若い頃は、ピアノの演奏が生活のすべてだったような彼女ですが、修道院ではその演奏を禁止されてしまい脱落、家族ともうまくいかなくなって精神病院に送られたり、そこを脱出したりと不安定な暮らし。。。そんな中、愛好するドライブのさなか、モーターサイクリストに激突されるという事故に遭い、相手を死なせてしまったことに罪の意識を抱えながら、車上生活をするようにーーー。事故は本当は彼女のせいではないのに、逃亡の末に懺悔を繰り返しながら、事故のことを知る警官にゆすられ続けの人生。
 一方の脚本家も、作家と生活者の間で揺れながら、自身の年老いた母親は施設に入れ、謎の老女に前庭を提供して作品のイマジネーションを膨らませる、少し歪んだ生活。なりゆきで老女にトイレを貸したことから、次第に買物に付き合ったり糞尿の始末までするハメになったけれど、「“介護”という言葉は嫌いだ。単に個人と個人の関係上、自己満足のためにしていることだ」と斜に構え、「介護とは汚物の処理だ」とも言い切る彼。
 何をしてもらってもお礼も言わず、失礼をしても謝らない彼女でしたが、彼女なりに精一杯、誇りを保って生きようとしていたのかもしれません。だからこそ、福祉施設で入浴して帰ってきた晩、死を予感してか、様子見に来た彼の手を取るシーンは泣けました。
 彼女の人生には、家族の他、音楽の師匠や司祭や修道女や警察官や福祉士や、街ゆく様々な人が行き交いますが、補い合うかのような交流をすることになる劇作家のベネットと出逢い、最後まで我を通して生きられたのは幸いだったと言えるのでしょう。罪の償いだったのか、ある意味禁欲的にピアノを弾くことを堪えてきたけれど、最後の最後に現実か幻想か、鍵盤に触れ、身体に沁み込んだ演奏をすることが出来てよかった!

 本作と対比させて、「マダム・フローレンス!夢見るふたり」という映画も観てみたい、と思いました。

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