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2022年12月13日 (火)

『野生のうたが聞こえる』

20221209  『ザリガニの鳴くところ』という小説を読んで知った、アルド・レオポルドという人の書いた『野生のうたが聞こえる』という本。“土地倫理”という言葉とともに、自然保護運動に多大な影響を与えたと聞いています。
 この1か月くらいで、じっくりと味わいながら読みました。
 私にとって、とても意義深い、貴重な読書体験でした。2006年の夏に家族で行った名栗村でのキャンプで、手ずからさばいたニジマスの血潮を思い出しましたーーー。
 原書は、1949年に刊行されたというから驚きです。今や、地球温暖化は誰にも身に迫る危機として認識されていますが、著者は20世紀前半から、原生自然の保護を唱えて、自然も含めた共同体の在りようを考えていたというのですから。
 本書は3部構成で、前2部はただただ個人的体験から、アメリカの大自然の中で観た素晴らしいシーンの数々を、瑞々しい筆致で描いた随筆です。ところが3部は、前2部を踏まえつつも、驚くほど論理的な語り口で自然保護の重要性を説く、論文のような文章に! とても同一人物の文章とは思えないほどでした。
 なにより共感したのは、彼の自然讃美思想が、頭でっかちな生活の中での思索的検討からでなく、厳しい自然に身を置いた体験から生まれていること。自然を“保護”する必要性を説きつつも、本来の自然は“保護”するようなものではなく、ヒトという種もあくまで自然の一部なのだという確信を持っていること。彼の言う“土地倫理(Land Ethics)”は、今ならさしずめ“地球倫理”と言えるのではないでしょうか。
 彼の言を借りれば、「倫理とは、生存競争における行動の自由に設けられた制限のこと」。「反社会的行為から社会的行為を区別すること」。そしてこの倫理観は、当初は個人-個人(個人同士)の関係を律するものであったのが、やがて個人-社会(民主主義)の関係にまで拡げられ、今はこの“社会”に、人間のみならず“土地(自然)”も含めた形での倫理性を模索している途上ではないかということです。
 「土地倫理」とは、ヒトという種の役割を、土地という共同体の征服者から、単なる一構成員、一市民へと変えるもの(p.319)。生態系に対する良心の存在の表れであり、土地の健康に対して個人個人に責任があるという確信(p.343)。
 先日のNHKスペシャル「超・進化論」第1集で、植物のネットワークと社会性について垣間見ましたが、まさに、動植物も地球上の共同体の一員であることが痛感されました。来年度から、住民税に千円上乗せで徴収される森林環境税も、てんで見当違いの使い方にならないよう、広い共同体を意識して施策検討してもらえるといいな、と思います。
 近頃の私は、とどまらない地球温暖化とモラルハザードを見るにつけ、地上で今一番すさんでいるのは、ヒトの心ではないかと感じています。ヒトという種が自然の一部であるという認識は、学生の頃から当然のこととして感じていますが、今は、自分が心地良くいられる自然を出来るだけ長く保ちたいと思いつつ、自然も含めた社会の命運を握るのはただただ“動的平衡”に身を委ねた地球の物理だとも思っているのです。
 思えば、地球史を46億年と捉えると、21世紀現在、人類史500万年なんて、たったの0.1%。人類史500万年のうち、一人の人間の個人史は、100歳まで生きても人類史のたった0.002%。“たかが、されど”ではありますが、それでも亡びる時は亡びる。それならば、地球史の中の1億分の2の人生を、未来のヒトが「地球史の中の10億分の?の人生」と思える(地球史が今の10倍まで継続する) ように、地球それ自体の維持に努めるしかないんだろう…と思っています^^;;。願わくば、緑と水と、心の澄んだ生き物を育み続けてくれるようーーー。
 とりあえず、本書の前半で紹介されていた“オウゴンアメリカムシクイ”という素敵な小鳥を、いつか見ることが出来る日を夢見ています♪
(新島義昭氏の翻訳が素晴らしくて、とても読みやすかったです♪)

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