「タコピーの原罪」
友人からの紹介で見始めた配信アニメ「タコピーの原罪」、先の土曜日に完結しました。
(以下、ネタバレありますので、未視聴の方は読まずにおいてください~!)
第1話を観た時には、あまりのショックに茫然自失。
身勝手な大人の元で不遇な生活を強いられた子が、自ら命を絶ってしまうところからのスタート。。。
最終話は、ハッピー星の一宇宙人が、自らの命と引き換えに、子どもたちを辛うじて現実につなぎとめて終わる。。。
到底ハッピーエンドとはほど遠いのですが、それでも、最悪の一歩を皆が踏みとどまったことは幸運と言えるのでしょうか…。
近ごろ、子どもの声が聞こえない。
子どもが元気に外遊びする姿を見ない(暑すぎるのもあるけど…^^;;)。
聞こえるとすれば大泣きする子の声、見るとすればスポーツクラブや塾に向かう子どもたち。
わずかながらも教育界に身を置き、まがりなりにも"親"という立場になった身からすると、子どもに大切なのは、"ただ見守る誰か"だと、つくづく感じます。
"ただそこに居る"だけの存在、独り言でも"ただ聞いてくれる"存在ーーー。
そういう存在でいるのって、この競争社会にあってはなかなか難しいんですよねぇ。。。
若い頃は、ごくごく限られた評価軸の中で上を目指したり、"何者か"になろうともがいたりしたけれど、この年になってみると、たいていの人は"何者"にもなれず、学生時代の評価なんてものは人間のごく限られた一面しか表わしていないことを痛感します。
そういう限定された世界での努力を否定するわけではないけれど、自分磨きだの立身出世だのに血道を上げるより、"ただ生きる"ということの尊さを、趣味の鳥見を通して感じるようになりました。
雛が巣立って独り立ちするまでは、自身のことはさて置いて、ただただ懸命に献身的に世話をするーーー。
(托卵された小鳥ですら、自分より大きなトケンの子に必死に餌を運び続ける…)
ヒトはなかなか、"自身のことをさて置く"ことが出来ない動物。
子育て期間が長すぎるせいもあるかもしれませんが、0歳から18歳までの18年間、"ただそこに居る"だけの存在でいたら、自分も生きていけないしーーー(T T)。。。(かく言う私も、子どもから見たら相当手前勝手な生き方をしてきてしまった…^^;;)
そういう意味では、厳しい現実の中でたまたま本作のような境遇に立たされてしまった子どもが駆け込める場というのは、整備されてしかるべきかもしれません。児童相談所というのもあるけれど、もっと、街の駄菓子屋のような、呑気だけれど極めて公平な場があるといいのかなぁ…。タコピーのように、無条件に相手の笑顔を求める存在が…。
大人がみんな、子どもの手本となるような生き方が出来ればいいんでしょうが、それはそれで難しい^^;;;。
大人としての生き方を、考えさせられるアニメでした。(ご紹介ありがとうございました!)











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