2023年3月 2日 (木)

『天涯の花』(澤田ふじ子)

20230219   先週の日曜日、澤田ふじ子さんの『天涯の花』を読了。
 小学生時代の絵の先生が、折に触れて絵手紙をくださる中、原田マハさんの本をよく回してくださるのですが、今回は珍しく、華道一派創始者を主人公にした本をオススメくださったので、読んでみました。
 個人的に、花嫁修業的なお花やお茶というのはどうも苦手で、「美しいと思えば、流派や段位なんてどーでもいい…」と思ってきたのですが、本書を読んで、「一甫のように、漂泊の中から宇宙の哲学に至った未生流なら、習ってみたいかも…」と思いました。ある種、自然そのものと、その中に潜むフラクタルに叩頭するかのような思想。俗世の中で理想を追究する姿勢。。。
 江戸時代の浅間山の大噴火の頃、婿養子先で筆結いの内職に精を出していた内蔵助。舅にいびられ、学友の非業の死に直面し、養子先を出奔した後に妻の入水の報せを聞くなど、とにかく不運続きの二十代。偶然、浅草で源氏流大花会の催しを観て、初めて生花と出逢うわけですが、そこから流派を創始するまでに、全国各地を放浪しつつ、行く先々でパトロン的な人たちに支えられることになるのは、内蔵助の人柄のなせるワザだったのでしょうか。。。
 未生流創始者の、二十代から絶息までを、淡々とした筆致で描いた本作は、江戸時代の、貧しいながらも質実剛健を貫きながら真摯に生きた旗本や御家人たちをも描いていて、侘び寂に通じる日本文化の土壌の背景に触れられたような気がします。

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2023年2月 1日 (水)

『リーチ先生』

20230131  先月末、『リーチ先生』を読了。
 バーナード・リーチさんという実在のイギリス人陶芸家を中心に据え、架空の弟子の二代にわたる陶芸家親子の青春と人生を描いた物語。
 陶芸家が登場する物語は、高樹のぶ子さんの「さつきさん物語」以来かな??
 リーチさんは実在の著名な陶芸家ということで、言わずもがなの功績なのかもしれませんが、今回の小説では、もしかしたら彼と関わったかもしれない数々の“名もなき陶工たち”に思いを馳せ、“用の美”を追求する人たちの地道な努力が感じられる物語になっていました。
 芸術家にはユニークさがどうしても求められるものですが、そのユニークさには、作家の“個性”だけでなく、陶土として用いる土の性質や、焼成する温度や時間、釉薬や題材や絵柄などなど、あらゆるものが関係するのがよく分かりました。
 編集者時代の友人が、かつてイギリスのランズ・エンドを旅して、とても印象的な場所だったと話してくれましたが、その近くにあるセント・アイヴスという場所に、リーチ先生のリーチ・ポタリーがあるというのは事実のようで、いつか訪れてみたいなぁ…と思いました。
 私は、どちらかというと陶器よりも磁器の方が好みに感じることが多く、今は、砥部焼にちょっと惹かれています。中でも、“ヨシュア工房”という窯元の制作する器は、砥部焼の中でも現代的・汎用的な上に個性的でユニークだなぁ…と感じています♪
 本書をきっかけに、久々に美しい陶磁器をじっくり観てみたくなりました。どこかでいい展示会をやってないかな~^^?!

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2023年1月26日 (木)

『[新版] 悠久の時を旅する』

20230118_01 20230118-_02 20230118_03  先週半ば、表題の写真集を読了。
 写真集とは言いながら、かなりのエッセイも収められており、見応えも読み応えもある書籍でした。練りに練られた編集が素晴らしい!! 星野道夫さんの本は、『旅をする木』に続き2冊目。
 『北極平原に動物を求めて』というシートンのカヌー旅の話や、アドルフ・ミューリーの『マッキンレー山のオオカミ』を繰り返し読んだという星野さんの青少年時代。いつしか、極北の地への憧れが嵩じ、長い長い旅を続けた星野さん。ヘラジカの交尾を撮影するまでに5年を要したとか、カリブーの大移動を延々と追いかけたとか、グリズリーやオオカミとたった一人で対峙したとか、とにかく活動のスケールが非日常。
 エスキモーやインディアンやアイヌの人たちの中に、ワタリガラスの創世の伝説があることから、次第に「自分たちはどこから来たのか」という根源的な問いを追いかけるようになっていったとか。日本からカムチャッカ、シベリアを抜け、アラスカ、カナダ、北アメリカへと通じるモンゴロイドの足跡を辿って、村々の長老や酋長に話を聴くことも、ライフワークになっていったようですね。
 マーガレット・ミューリーの『Two in the Far North』という本から「一体人生で一番大切なことは何なのだろう」という言葉を引用して、泡沫のような人生と、脈々と続く自然の双方を愛した遠い目をした人ーーー。
 写真からもエッセイからも、星野さんの優しい人柄が滲んできましたが、本書の中の「ジリスの自立」というエッセイは、タイトルからしてちょっとオヤジギャグっぽく、星野さんのユーモアと人間らしさを感じさせてくれました。
 マッキンレー国立公園内のビジターセンターには、多くの観光客が訪れるそうなのですが、かわいいジリスを見掛けると、すぐにエサをやってしまう観光客が後を絶たないとのこと。そうした観光客の気持ちも分からないではない…と感じつつ、どうしたものかと逡巡する星野さん。そんな中、ある日、とても小さな立て看板を見つけたのだとか。そこにはこう書かれてあったそうです。
ーー…ジリスたちよ! おまえたちは、そうやって人間から餌をもらってばかりいると、だんだん体重が増え、動きが鈍くなり、いつの日かイヌワシやクマの餌になってしまうだろう…ーー
 エサをやる観光客を注意するのでなく、エサをもらってばかりのジリスに向けて看板を立てることで、そうした観光客に一考を促すかのようなその文章に、星野さんは笑ってしまったと書かれていました。きっと、共感の気持ちが溢れたんだろうな~と感じました^^。

 本書の巻末には、6人の関係者の寄稿文が掲載されています。どれも素敵な一編ですが、個人的に、お母様の文章を本当に興味深く拝読しました。自分の子が、星野さんのように冒険心に富んでいたら、受け止めきれるだろうか…と感じたもので…^^;;。高校生で何カ月も音信不通のまま海外を放浪するとか、ザックを背負ってあちこちの山に籠ってしまうとか、およそ会社員には向かない性格だと感じていたとか、それはそれは心配が尽きぬことだったろうなぁ…と拝察しながら読みました。
 中学受験の頃は新聞記者になりたいと思っていたとか、外国への渡航費を貯めるためにお金になるバイトを重ねていたとか、放浪中にメキシコ入りのビザを得るために領事館の前で3日間も粘ったとか、大学をやめたいと言い出したことがあったとか、自分の作品を観てもらうために出版社の編集長の所に押し掛けたとか、それはそれはヤンチャな印象。お母様としては気の休まる時がなかったのでは。。。? それでも結局のところ、そんな彼を終生応援し続けておられたお母様の辛抱強さに打たれました。
 ある時、お母様に、「ぼく、小説を書いてみようかと思うんだけれど…」と漏らしていたのだとか。あぁ、星野さんがもし小説に着手しておられたら、一体どんな物語を書かれたのかなぁ~。。。彼が描こうとしていた世界を夢想しながら、そっと本書を閉じたのでした。

20230125_2 20230125_1 20230125_3 【氷点下の朝】昨日は大寒波後で、都内も氷点下2~3℃になりました。公園の噴水は巨大なツララ状態に。。。でも、強い風と雨と寒さで、街全体が洗い流されたかのような清々しい空気。氷点下50℃の北極圏の空気を想像し、厳寒の透明度に思いを馳せました。

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2023年1月22日 (日)

『妄想美術館』

20230111_2  母の友人で、私が子どもの頃の絵画の先生から、年初に数冊の本をいただきました。
 そのうちの一冊『妄想美術館』をサクッと読了。
 画家のヤマザキマリさんと作家の原田マハさんによる美術館対談。すごく愉しかった♪
 あまり触れたことのない作品や作家さんの話も多かったけれど、お二人がいかにアートにハマり情熱を注ぎ、そのことを愉しんでおられるかが如実に伝わってくる放談でした^^。(ウッチェロという人の絵を、ナマで拝みたくなりました^0^)
 私も、マリさんと同じく、美術館はTシャツにジーンズでふらりと立ち寄り、床に座って気軽に模写できるような雰囲気になって欲しいと常々思っています。
 本書第4章に「未完の魅力への憧れ」というのがあるのですが、レオナルド(ダ・ヴィンチ)の“モナ・リザ”や“マギの洗礼”や、メトロポリタン美術館分館で2016年に開催された”Unfinished”という企画展の話が面白かった! 日光東照宮の陽明門が大好きなのですが、あれはある種"魔除け"の効果を狙ったものであると言われてはいるものの、「完成は崩壊の始まり」という恐れとも相まって、「世の中に、"最高傑作"なんてないんじゃないか?」というのが私の考え。筆の遅い作家さんなども、「よし! これで完成だ!」などと思って脱稿する人はひとりもいないんじゃなかろーか?? いつも何かが足りなくて、何かをやり残している気がする。。。
 アートはまさに、宇宙の中の1点の個人の自己表現。他の誰にも評価なんかできず、触れる人それぞれが勝手に何かを感じればいい。それでも、時代に選ばれて遺っていく作品というものがある。マハ×マリの妄想美術館もすごく面白そうでしたが、人それぞれの妄想美術館があるのでしょうね。私の妄想美術館には、どんな作品群が並ぶかなぁ~?!
(次はマハさんの『リーチ先生』へ移行~♪)

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2023年1月16日 (月)

『旅をする木』

20230114  自然写真家の星野道夫さんの表題の書籍を読了。
 写真美術館のミュージアム・ショップで購入したこの文庫本には、ダブルカバーが掛かっていました。
「およぐシカ」と題された、ムースやカリブーを思わせる素朴なイラストのカバーも素敵ですが、私は本書を読んでいる間じゅう、星野さんのポートレイトの方を上に掛けて、文章と交互に彼のやさしげな遠い眼差しを眺めていました。
 人並外れた行動力のアグレッシヴさとは裏腹に、じっくりと本を読み、その中に深く浸り感動し、その感動を忘れずに自らに活かす感応力。ロマンチストで感受性豊かな星野さんの性格が、如実に感じられる一冊だったと思います。
 食うか食われるかだけがすべての、常に死と隣り合わせの厳しい自然と、それだからこその崇高さや美しさに惹かれ続けた星野さん。さらに、氷点下数十度の厳しいアラスカでの暮らしの中だからこその人の温かさや謙虚さを愛していた星野さん。一編一編の、手紙のような日記のような短いエッセイのそれぞれが、日々慌ただしく暮らす現代人の心に、大きな時間の流れと大きな自然とを感じさせるようでした。小さな一個の人間が、悠久の時空を意識して生きることの大切さに、目覚めさせていただいた感じがします。
 タイトルになった「旅をする木」というエッセイは、ビル・ブルーイットという生物学者が著した“Animals of the North”という古典の第一章のタイトルでもあります。一羽のイスカトウヒの木に止まり、この鳥についばまれて落ちた種の物語。
 自然の輪廻を静かに感じさせるこのエッセイを読んで以降、私は、星野さんが学生時代に失くしたTさんというご友人(1974/7/28の焼山噴火にて)と、そして星野さんご自身(1996年ヒグマとの事故により急逝)を、なぜか、日々出逢う小鳥たちの中に見るようになりました。学生という多感な時期に、心からの友人を失くした時の喪失感は、その後の星野さんの世界観に、大きな影響を与えたのでしょう。本書の、まっすぐで透明な文章の中に、いつもどこか寂寥感が漂うのは、星野さんがとても遠くを見ているせいかな…と感じました。
 万物が、流転しながら長い長い旅をしているなら、“今”この時を全身全霊で感じ取り、出逢うもの触れるものとの一期一会を心から楽しんで進みたいものです。
 

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2022年12月30日 (金)

『日本のアニメ監督は いかにして世界へ打って出たのか?』

20221224_6 20221224_7  2022年最後の読書は、表題の新書。
 「よくぞまとめてくれました!」という感じのデータBOOK的にも読める一冊。
 著者としては苦渋の選択でピックアップされたのでしょうけれど、“海外知名度”と“ビジネス”という切り口で、日本を代表するアニメ監督数名にフィーチャーし、ここ半世紀ほどの日本のアニメ業界の変遷をうまく整理してくださっていました。
 宮崎駿、高畑勲、今 敏、湯浅政明、細田守、新海誠、富野由悠季、庵野秀明、大友克洋、押井守、りんたろう、川尻善昭、神山健治、荒牧伸志、外崎春雄、岡田麿里、伊藤智彦、朴性厚、山田尚子、石田祐康といった錚々たる顔ぶれについて、年表とともにプロフィールを概観し、世界の各種映画祭やイベント、配給会社や制作会社の解説も充実した、読み応えたっぷりの一冊!
 私は単なるアニメファンだし、あらゆる作品を観ているわけでもなく、業界の詳しいことには疎いわけですが、それでも、“アニメに育てられた”という自負があります。高度成長期、親が忙しいのをいいことに、ずいぶん色々なTVアニメを観て来ました。自分がまがりなりにも良心的な大人になれたのは、これらの作品群すべてのおかげと思っています。私のような子供時代を過ごした多くの人たちによるアニメ理解の醸成が、アニメーション映画も実写映画と同じ土俵に立つエンタテインメントだという包摂感を育んだと思っています。
 本書の前半は、海外で評価されるアニメ監督という大きな括りで映画作品を中心に展開しますが、著者の数土さんは決してそれだけを評価軸に見ているわけではなく、映画の素晴らしさと並び、TVアニメの素晴らしさも、OVAの素晴らしさも、等しく讃えていることに嬉しくなりました。
 また、昨今の女性監督の活躍にもスポットを当てていることに、強く共感! アニメに限らず最近は、様々なクリエイティヴシーンで、女性が今まで以上に台頭してきているのを感じます。配信による鑑賞者が増える中、アニメビジネスの構図もさらに変容する予感とともに本を閉じました。
 今回は“監督”という切り口での分析でしたが、個人的には“キャラクターデザイン”や“担当声優さん”による訴求力分析にも期待してしまいます。かつて「100万の命の上に俺は立っている」というTVアニメの第一話 で、著作権がらみで実験を続ける「いらすとや」さんの絵柄で全編構成するといういまだかつてないトライアルを観て度肝を抜かれました。また、絵柄のみならず、「ポプテピピック」の声優さん替えのように、声色が違うだけでも、作品の印象がまったく変わってしまうことも痛感しています。こういうのを見るにつけ、「アニメは総合芸術だなぁ」と思うわけです。
 どんな人財がアニメ業界に入って来るかは、時代によっても変わるのでしょうが、クリエイターを志す人はどんなジャンルであれ、“人の心を打ったもん勝ち”だと思うので、これからのアニメも大いに楽しみにしている私です♪ 本書を読んで「あ、アレもまだ観てなかった!」「これもまだだった」という気づきがあったので、観てみないと~♪

【君たちはどう生きるか】「来年はどう生きるか?」ーーー来年は、これを観るためだけに^^;日々がんばりまっす!
 7月14日が楽しみすぎるぅぅぅぅ…^^;;;。それにしても、今月半ばに公開されたポスタービジュアルのあの鳥は、一体何でしょう…??? 火の鳥か?!

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2022年12月13日 (火)

『野生のうたが聞こえる』

20221209  『ザリガニの鳴くところ』という小説を読んで知った、アルド・レオポルドという人の書いた『野生のうたが聞こえる』という本。“土地倫理”という言葉とともに、自然保護運動に多大な影響を与えたと聞いています。
 この1か月くらいで、じっくりと味わいながら読みました。
 私にとって、とても意義深い、貴重な読書体験でした。2006年の夏に家族で行った名栗村でのキャンプで、手ずからさばいたニジマスの血潮を思い出しましたーーー。
 原書は、1949年に刊行されたというから驚きです。今や、地球温暖化は誰にも身に迫る危機として認識されていますが、著者は20世紀前半から、原生自然の保護を唱えて、自然も含めた共同体の在りようを考えていたというのですから。
 本書は3部構成で、前2部はただただ個人的体験から、アメリカの大自然の中で観た素晴らしいシーンの数々を、瑞々しい筆致で描いた随筆です。ところが3部は、前2部を踏まえつつも、驚くほど論理的な語り口で自然保護の重要性を説く、論文のような文章に! とても同一人物の文章とは思えないほどでした。
 なにより共感したのは、彼の自然讃美思想が、頭でっかちな生活の中での思索的検討からでなく、厳しい自然に身を置いた体験から生まれていること。自然を“保護”する必要性を説きつつも、本来の自然は“保護”するようなものではなく、ヒトという種もあくまで自然の一部なのだという確信を持っていること。彼の言う“土地倫理(Land Ethics)”は、今ならさしずめ“地球倫理”と言えるのではないでしょうか。
 彼の言を借りれば、「倫理とは、生存競争における行動の自由に設けられた制限のこと」。「反社会的行為から社会的行為を区別すること」。そしてこの倫理観は、当初は個人-個人(個人同士)の関係を律するものであったのが、やがて個人-社会(民主主義)の関係にまで拡げられ、今はこの“社会”に、人間のみならず“土地(自然)”も含めた形での倫理性を模索している途上ではないかということです。
 「土地倫理」とは、ヒトという種の役割を、土地という共同体の征服者から、単なる一構成員、一市民へと変えるもの(p.319)。生態系に対する良心の存在の表れであり、土地の健康に対して個人個人に責任があるという確信(p.343)。
 先日のNHKスペシャル「超・進化論」第1集で、植物のネットワークと社会性について垣間見ましたが、まさに、動植物も地球上の共同体の一員であることが痛感されました。来年度から、住民税に千円上乗せで徴収される森林環境税も、てんで見当違いの使い方にならないよう、広い共同体を意識して施策検討してもらえるといいな、と思います。
 近頃の私は、とどまらない地球温暖化とモラルハザードを見るにつけ、地上で今一番すさんでいるのは、ヒトの心ではないかと感じています。ヒトという種が自然の一部であるという認識は、学生の頃から当然のこととして感じていますが、今は、自分が心地良くいられる自然を出来るだけ長く保ちたいと思いつつ、自然も含めた社会の命運を握るのはただただ“動的平衡”に身を委ねた地球の物理だとも思っているのです。
 思えば、地球史を46億年と捉えると、21世紀現在、人類史500万年なんて、たったの0.1%。人類史500万年のうち、一人の人間の個人史は、100歳まで生きても人類史のたった0.002%。“たかが、されど”ではありますが、それでも亡びる時は亡びる。それならば、地球史の中の1億分の2の人生を、未来のヒトが「地球史の中の10億分の?の人生」と思える(地球史が今の10倍まで継続する) ように、地球それ自体の維持に努めるしかないんだろう…と思っています^^;;。願わくば、緑と水と、心の澄んだ生き物を育み続けてくれるようーーー。
 とりあえず、本書の前半で紹介されていた“オウゴンアメリカムシクイ”という素敵な小鳥を、いつか見ることが出来る日を夢見ています♪
(新島義昭氏の翻訳が素晴らしくて、とても読みやすかったです♪)

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2022年11月24日 (木)

『基礎からわかるディープラーニング』

20221114_20221114101701  だいぶ前に読み始めた表題書籍ですが、先週頭にようやく読み終えました。
 わかりやすい日常的な例(ローンの支払い能力と申請可否等)を用いて、ごくごく初歩的でシンプルな線形的な事例で、ニューラルネットワークの仕組みを解説してくれています。
 …が、そんな初歩的な内容さえ、なかなかの手強さ!
 輪をかけて、現実の問題の多くは、線形ではないし、隠れ層を多数要するし、誤差面は複雑な山や谷を有する多次元的な地形図になっているはずなので、正直、理解できたとは到底言えません。
 バックプロパゲーションアルゴリズムと最急降下法アルゴリズムという2つのアルゴリズムを用いて、ディープネットワークの学習を推進できる、というのはザックリと理解しました。そして、要するに、入力に対してどんな写像を行うと、どんな出力が得られるか、を考えるのがニューラルネットワークの設計だということも把握しました。が、初期値の設定や、重みづけ、隠れ層を何層にするか、学習に用いるアルゴリズムやニューロンの数、どんな学習データセットを用いるかなど、設計者の手心がことごとく出力に影響しそうなことに頭を抱えました。
 個人的に、本書を読み始めた動機は、ディープラーニングによって学習を繰り返したニューラルネットワークの、どこに、“創作性”が宿るか?を知りたかったからなのですが、少なくとも、出力を導くためには、ネットワークを設計した人、学習させた人、学習に用いたデータの創作者の寄与が必須なのは確か(苦笑)。
 ただ、これを人間の著作物の“創作性”に敷衍すると、何やらおかしなことになってしまいます。人間の場合、例えば何かの絵を描いた人がいたら、その人が著作者になり著作権を有することになりますが、上記との対比で言えば、その人を生んだ両親、遍くその人に刺激を与えた人や、触れたモノの創作者の寄与が、すべて出力に必須ということになってしまうからです^^;;。
 そういう意味では、AIに著作権を、という話もまんざら空論にも思えないわけですが…。やはりそこに“心”とか“意思”とか“感性”とか、未だよく説明できない何かが絡んでいないと、どうも納得し難い。。。
 画像自動生成AIはともかく、機械翻訳や顔認証システムなど、すでに日常的に活用されているディープラーニングのモデルに関し、その安全性を保障するソフトウェアを開発したというRobust Intelligenceというベンチャー企業があるようですが、AI版の「邪悪になるな」のようにも見えーーー。AIと人間を対比させて、その“創作性”を考えると、何やら人間の“創作性”とやらが、ずいぶんとあやふやなものに思えてきます。この検討の旅は、まだまだ続きそう…(苦笑)。

ドーハの歓喜】予想外!侍ブルーがドイツに勝利?! おめでとうございます&グループリーグ突破をお祈りします!!

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2022年11月21日 (月)

『優雅な暮らしにおカネは要らない』

20221112_14  友人のオススメで読み始めた『優雅な暮らしにおカネは要らない』を、先々週に読み終えました。
 この友人は、コロナ禍以降、ダンナ様は完全リモート、ご自身も食料品の調達以外はほとんど外出せず、映画鑑賞も外食もせず、ただひたすら読書に明け暮れる日々を過ごしているというツワモノ。近頃はさすがに、近所の図書館にない本を、隣町の図書館までウォーキングがてら探しに行くようですが、よくぞその生活を維持している?!と驚くばかり。
 本書を読んでみて、友人はまさに、本書の著者が勧めるような暮らし方を実践しているのだろうと想像しています。

 本書の著者は、ドイツの没落貴族。著名な新聞社勤務でしたが、リーマンショック後のある日、突然解雇を申し渡され無職に。。。収入源が断ち切られてみて初めて、“本当に必要なものは何か”を熟考して生活するようになったのだとか。そして、ブランドものは買わない、外食はしない、旅行には行かない、車にも飛行機にも乗らずに公共交通機関を利用しつつ、できるだけ歩いて移動する…などなど、出来ることをやっているうち、これまでの暮らしは単に資本主義の広告に踊らされていただけだと気づいた、というお話。清貧や質素倹約を推奨するというよりは、節度を持って、他人の価値観に踊らされずに生きよう!という本でした。本書が、コロナ禍前に書かれたというのがスゴイ。
 私も大部分には共感しつつ、やはりたまには外食を楽しみたいし、旅行にも行きたい。。。だから、それぞれの価値観に基づいて、無駄遣いせずに誠実に、礼節をわきまえて暮らせばいいのでは…と感じました^^;;。
 近頃はどうも、教養や知的好奇心の充実と、金銭的裕福をごっちゃにした議論をよく見掛けますが、これらはまったく別モノではなかろうか。。。
 この歳になって思うのは、人生の一番の贅沢は、自分自身が、24時間という自分の時間の“主”になることだと感じます~。
 

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2022年11月 3日 (木)

『ストロベリー戦争 弁理士・大鳳未来』

20221024_5  先月、表題の書籍を読了。
 農作物の品種開発者やブランド/商標担当者には是非是非読んでいただきたい、商品名/商標管理の教科書にもなりうる本でした!
 クリスマス目前のこの時期、イチゴに思いを馳せながら、ハラハラドキドキした後でHappyな年末年始を過ごせそうです^^♪
(以下、ネタバレ注意)

 去年、ロイヤルクイーンという見事なイチゴを頂きましたが、あの栃木産の苺は、2010年には商標登録され、2011年には品種登録もされていました。日本の農産品は素晴らしいものばかりですが、特には、プチトマトと並んで食卓の彩に欠かせない上、ショートケーキやパフェのクオリティを左右しますよね。
 農産物の品種やブランド管理では、種苗法による品種登録、商標法による商標登録や地域団体商標登録、地理的表示法によるGI登録などがありますが、本書は、突然変異により生まれた苺の新品種を、地域の基幹産業にして盛り立てようという人たちと、権利保持によるブランド・マネジメントでロイヤリティ収入を得ようとする商社との、手に汗握る駆け引きの物語。
 せっかくの画期的なイチゴの新品種を開発したにもかかわらず、鼻の利く商社マンに商標を先取りされ、販売直前で警告書を送りつけられた苺農家の人たち。苦労して作った苺が売れなければ、農家はすぐに立ち行かなくなってしまう。さぁどうしようーーー。
 最終章(第5章)直前まで、この窮地をどう切り抜けるのか、うまい方法が見当たらずに途方に暮れながら読み進めました。
 種明かしをされてみれば、「なるほど~!」と膝を打ちましたが、実際にはそううまくいくとは考えられず、だからこそ本書を、広く農業従事者やブランド管理者の方々と共有したいと思ったのでした。
 今回のお話は、国内でしのぎを削る顛末でしたが、種苗の国外持ち出しと、外国での商標先取りこそが、これからの農業の懸念材料。その意味では、商社マンの提唱したマネジメント・プロジェクトは、実はとても大切で、生産者とマネジメントのプロフェッショナルとが良好に手を携えて、世界を席巻するくらいのつもりで打って出るような計画こそ欲しい…と思ってしまいました。
 著者の南原氏は現役のインハウス弁理士さんと聞いています。日々、本書のような侵害がらみの警告を打ったり受けたりしておられるのでしょうか…? 事実は小説より奇なり、で、毎日がエキサイティングなのかもしれませんねぇ。前作のVチューバーの話も楽しませていただきましたが、本書は面白い上に勉強になりました! ありがとうございました!
20221028_5 20221028_6 20221028_7  本書の読後は、無性にイチゴのショートケーキが食べたくなって…、つい…、季節外れにもかかわらず、夫を付き合わせて果樹園のイチゴのズコットを買って来てしまいました^^;;。イチゴ農家さんのご苦労を思いながら、甘酸っぱくて真っ赤なイチゴを堪能致しました~♪

 参考までに、イチゴ関連メモ。
・「女峰」品種登録:栃木2号→女峰(2000/1/24失効)
・「とちおとめ」品種登録:栃木15号→とちおとめ(2011/11/22失効)
・「なつおとめ」品種登録:栃木25号→なつおとめ
・「スカイベリー」品種登録:栃木i27号、商標登録:スカイベリー
・「ミルキーベリー」品種登録:栃木iW1号、商標登録:ミルキーベリー
・「とちあいか」品種登録:栃木i37号、商標登録:とちあいか
・「ロイヤルクイーン」品種登録:001-16RQ、商標登録:ロイヤルクイーン
・「あまおう」品種登録:福岡S6号、商標登録:あまおう

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